「何でもいいからタイトルを獲れ」と言われて

今年からRGJのプレイングマネージャーとして、10年ぶりに選手復活する事になった須藤むつみ。チームの創設者でもあり、母体となるNPO法人「サイクリスト国際交流協会」の会長も務める。

実は、筆者・加藤とは20年来の付き合いとなる旧知の仲でもある。「知り合った頃はお互い20代だったよねぇ!」と、昔を懐かしむ事もしばしば(実はこのインタビューも2時間以上話をしたのだが、半分以上は単なる昔話だったという事は内緒・・・)

自転車競技を始めたのは社会人になってから。MTBから始め、ロード、シクロクロスと様々な自転車競技を経験。2000年ー2001年シーズンのシクロクロス全日本選手権で優勝。同シーズンでは、シクロクロスミーティング(現・信州クロス)の女子シリーズチャンピオンも獲ってダブルタイトル達成。当時の名物レースアナウンサー古賀聡氏には「孫・子(まご・こ)の代まで運を使い切った!」とまで言われた。

2000-2001シクロクロスミーティング 名物アナウンサー・古賀聡氏(写真左)からコールされ、全日本チャンピオンジャージで表彰台に上がった藤野むつみ(旧姓 写真中央)

「当時のシクロクロスミーティングは11月から年明けの1月までの毎週末レースがありました。フルタイムの仕事をしていたので、金曜日に仕事が終わったらその足で夜行バスに乗って長野へ行き、シクロクロスのレースに出場して日曜夜に帰ってくるの繰り返しでした」

シクロクロスではオランダでワールドカップに出場し、ロードではニュージーランドのステージレースに出場するなど、海外でのレース経験も豊富だ。

実は自転車競技で頂点を獲るという考えは元々無かったという。しかし、ある方の一言が、藤野(須藤むつみの旧姓)の考えを変えた。

「ニュージーランド遠征の為に資金集めでスポンサーをお願いしに行った時に言われたんです。『メンバーに全日本チャンピオンがいないね。これじゃ話にならないよ』って。その方はモトクロスで全日本チャンピオンになった経験を持っていたんです。『これから同じような事をする時、なんでも良いからタイトルを獲ってないと、話も聞いてもらえないよ』って。重い言葉でした。」

考えた末、シクロクロスで全日本チャンピオンを目指す事を決めた。ジムで専門家の指導を受けながらトレーニングを積み、翌年には「足のラインが明らかに違う!」と言われるほど変わった。

「それがシクロクロス全日本で勝つ2年前です。実は当時立ち上げたチーム『VOLCA』が1年で空中分解状態になってしまって、崖っぷちだったんです。ここで何か実績を残さないとチームが無くなるという状態でした。でも、シクロクロス全日本で優勝した事で、協賛してくれる企業が出てくれました。タイトルの重さを実感した瞬間でした」

→ Next Ready Go JAPAN発足と選手復活

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