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実録!Ready Go JAPANフランス女子レース遠征の現場
<前半:ツール・ド・ブルターニュ編>
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日本人2名が完走を果たしたツール・ド・フランス2009がおこなわれていた、
同じフランス国内で女子国際自転車競技連合(UCI)公認ステージレースが
2つ開催され、このレースにReady Go JAPANの活動支援する法人「NPO法
人サイクリスト国際交流協会」の企画により、「Ready Go JAPAN(以下RGJ
)」としてRGJ堀 友紀代とRGJ松田 千裕、さらに、日本学生自転車競技連
盟(以下:学連)より推薦を受けた 明珍 裕子(朝日大学)の3選手が自身
初の海外遠征に挑 戦した。
レースに関するレポートについては 月刊サイクルスポーツ10月号(9月20日
に八重洲出版より発売)で4ページに渡り特集されるので、そちらをぜひ、ご
覧いただくとして、こちらでは「現場のウラ話」をお伝えしたいと思う。
※月刊サイクルスポーツ10月号(9月20日:八重洲出版より発売)
http://www.cyclesports.jp/
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2009フランス遠征・日本人女子選手3名(フランス・リムザンにて):
左よりRGJ堀 友紀代、朝日大学・明珍裕子、RGJ松田千裕
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7月12日の夜。「第1回全日本ステージレードレースinいわて」での3日間レー
スを走り終えた RGJ堀と松田の両選手は、一気に岩手から千葉県成田に車
で移動。その後、成田で宿泊。この時点で 深夜2時をまわっていた。
7月13日早朝に成田空港に移動。成田からの出発はRGJ堀、松田の両選手
と事務局の須藤むつみ。 そして別便で遠征監督の市川 雅敏氏(Vitesse-
Ichikawa)の4名。一方、学連推薦の朝日大・明珍選手は 名古屋の中部国際
空港から1名での出発となる。フランスは日本との時差がマイナス8時間。
そのため 飛行機には13時間も搭乗するが、フランスのシャルル・ドゴール空港
(CDG)には13日の夜7時ごろには到着となる。
空港には3つのルートに分かれて日本から移動した、今回の日本からの遠征
参加メンバー全5名が 無事に落ち合うことが出来た。早速、レンタカーを借り
て空港近くのホテルに移動・・・の予定であったが、 ネット予約した車のタイプ
と、実際に出てきた車が違っていて小さすぎた。それでもまずはホテルに 大
量の荷物とともに移動しなければならないので、考えられない詰め方で車に
入れて、選手も詰め込む。 そして15分ほどの移動で何とか宿泊先につくこと
が出来た。
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こちらが借り替えた後のレンタカー・・・これでも、小さくて大変でした。
次回は、事前にサイズ以外にも車種名まで細かく指定必須です!
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これは、よくフランスで利用した「Courtepalle」というグリル・レストラン。
安くて手軽、ファミレスな感じだけど本格的な料理で美味しかった!
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翌日、本来はこの日に最初に参加のレース「ツール・ド・ブルターニュ」受付の予定で
あったが、事前に日程が後ろに1日ずれていることを知っていたため、この日は時間が
多少ある。そこで小さいレンタカーを大きい車種に借り替えるため、数軒レンタカー社
をまわって、ようやく大きい車種に変えることが出来た。 実は、ステージレースでは移
動に3時間以上、場合によっては5時間の車移動はザラなので、少しでも大きい居住
の確保できる車は必須。しかも日本からほとんどの物品を持ち込んでいるので荷物も
大量に積みたいのだ。
こうして午後からはパリ市内から陸路でブルターニュはGUINGAMP(グンガン)まで
5時間移動した。 途中で休憩を挟みながら、グンガンに到着した頃にはちょうど夕食
時。ここから現役時代にフランスに滞在していた経験のある市川氏の勘が働く。
今回の遠征での外食では、市川氏のチョイスで「大外れ」な店や料理が なかった。
それに地元の美味しい食事にありつけることはレース会場の文化を知ると共に、レー
スに集中し つづける選手にとっては、唯一の楽しみであり活力にもなるので、非常に
有難かった。
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15日は主催者から事前に送られてくる文書に記載されている時間と場所に
移動。これが「受付」となる。 集合場所である教会の敷地内には、地元フラ
ンスはもちろんのこと、欧州各国からチーム車が集まっている。 中にはUCI
公認女子チームもいくつか発見。そこを市川監督が切り込んでいって、様々
なチームスタッフと 挨拶を交わす。フランス語にイタリア語、英語、しまいに
はドイツ語まで出てくる氏のコミュニケーション能力に 日本から来た3選手も
刺激されて、つたないながらも積極的に笑顔で挨拶。
この最初のツカミが良かったようで、 この後のレース中にも様々なチームに
助けてもらったり情報を交換できることに繋がった。
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会話堪能な市川氏は、地元フランス記者の取材にも応じる。
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この黄色いポロシャツ↑のオジチャンがCUNY氏である。
彼とエドウイッチ(Edwige・PITEL)選手がキッカケとなって
フランス女子遠征の日本チーム派遣活動が始まっているので、
感謝することしきりであります。
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そして受付時間になったので会場内に入ろうとすると、主催者のCUNY氏と会うこと
ができた。 日本から4年に渡り招待いただいたことを感謝しつつCUNY氏に挨拶。
そしてレースメンバー一覧をもらいつつ、 UCI国際ライセンスの照合。照合には少し
時間がかかるのでメンバー一覧を確認。なぜかというと、 日本から3名の出場と、
現地で私の友人でもあるエドウイッチ・ピテル選手(フランス個人TTチャンピオン)が
合流することまで分かっていたのだが、「あとフランス選手が1人か2人、チームに入
るかも」と彼女から メールをもらっていたので、そのことを確認したかったのだ。
「日本の3名はOK、あとEdwige PITELの名前と、 あとは・・・え?!」そこにあった
の は「Jeannie Longo-Ciprelli」の名前。なんとジャンニ・ロンゴ選手! 思わずメン
バー表を手に、その場にへたり込んでしまった。何ということ!!女子自転車競技
史上に燦然と輝く 大記録を樹立し続け、今も現役の「伝説の選手」がRGJチームに
合流するというのだ。その様子にCUNY氏は、 私に「してやったり!」という笑顔を
見せた。最高のサプライズをありがとう! この後、判明したのだが、何と今回でこ
のブルターニュ女子レースが終了となることが決まったらしい。 ここまで女子のス
テージレースを盛り上げ、心憎い演出をするCUNY氏の功績には頭が下がる思い
である。
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16日からは、いよいよTour de Bretagne Feminin 2009の4日間が始まる。
市川監督は女子レースに帯同するのは 初めてではあるものの、男子のプ
ロロードレースに出動した選手であり、その後も大きなレースにチームを引
率する監督業を多くこなしていることもあって、いちいちにコツや状況を指示
し動くのだ。
レース中にはツール・ド・フランスなどでおなじみのように、選手の大集団の
後ろにチーム車が現在のチーム 成績順にキャラバンとしてついていくことに
なるのだが、運転の技術がイマイチなチームも多い。 これは男子と比べる
と、世界的にも女子チームは資金や体制が整っているチームがまだまだ少
ない。 そのため、市川氏のような卓越していて集団の動きの先の先まで読
めるドライバーは良い意味で目立つのだ。
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ツール・ド・ブルターニュにてトップ集団につくエドウイッチ(Edwige)選手(中央)。
その右手手前に影となっているが、ジャンニ(Jeannie)の姿が見える。
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レーススタート準備中のジャンニ・ロンゴ(Jeannie Longo-Ciprelli:写真左)、
そして、彼女の夫でありコーチであるパトリス・シプレリ氏(写真右)
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さらに、市川監督がロンゴの旦那さんパトリス・シプレリ氏(ロンゴ選手のパーソナ
ル・コーチで、 彼女をスキー滑降の世界から自転車界に引き入れた)に、レース
状況を無線で指示伝達する事を 手助けしていたところ、レース後半では、ロンゴ
旦那が市川氏に「この状況はどう思う?」と聞くように なった。最初は東洋の謎の
チームと思われていた感じであったが、最終的には信頼を獲得できたようだった。
日本選手3名は、毎日100km近くを走るレースを懸命にこなしていく。その一生懸
命で真摯な姿勢は欧州の他の チームにも印象的であったようで、毎日、市川監
督を通じて、各選手に「こうすると、もっとよくなる」とか、 「体重を少し絞れば、2年
後には十分に戦える」など具体的なアドバイスを他チーム監督やスタッフにもらえ
た。 そういえば、レース中、メインの集団から遅れてしまったときの対処が日本選
手は慣れてなく、車の後ろにつけず どんどん遅れてしまうのだが、他チームの車
から手が出て選手を押してくれたり、チーム車の後ろにつくように 指示を受けて、
フォローをしてもらうことが度々あった。普通、あまり他のチームを手助けしないの
だが、 彼女たちの頑張りを認めて助けてくれたと私は考えている。
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ツール・ド・ブルターニュのスタート前・チームプレゼンテーションにて。
左より明珍、松田、堀、ジャンニ、エドウイッチ各選手
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ブルターニュレースの第1ステージ・スタート前。
中央にRGJ堀選手、彼女の右にはフランス個人TTチャンピオンのエドウイッチ選手、
左には、チームメイトの松田選手の姿も見える
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