7.第61回全日本アマチュア自転車競技選手権大会(1992年)
兼バルセロナ五輪代表選手選考会
企業でロード競技主力のチームを持った最高の目的は、何といっても五輪選手の輩出である。今回の五輪は、国別参加枠が前回のソウル五輪とおなじ3名である。2年前世界選手権の日本で初開催のため、当時のアマチュアロードのトップ選手数名がプロ入りしたとはいえ、国内ロードを支える実業団各チームの主力選手の層は厚く学生陣の食い込みは殆ど考えられず、前回同様社会人選手が代表を占めると予想されていた。
この五輪大会後、国内レースカレンダーの主要大会は、全日本実業団選手権、ツール・ド・北海道、沖縄、国民体育大会と続いている。一昨年にプロ転向を見送っていた国内ランキングで上位の選手のうち数人はこれを走ってプロ入りを予定している。まさに近年にない激しいバトルの展開が避けられないエントリー状況であった。会場は2大会前のアメリカ・ロスアンジェルス五輪の選考会になったコースと同じ群馬サイクルスポーツセンター(CSC)
6kmサーキット30周180kmで行われた。
ロードレース展開・経過状況
伏兵!田中光輝の一発 全日本を制す
優勝候補、展開に恵まれず惨敗!
予想されたごとく前半戦におけるレース展開は。有力チームのアシスト勢と学生ロードマンの飛び出しで周回が重ねられていった。30周という長丁場、主力選手は自重していたため大きな動きなく観衆の目はいつアタックをかけるかに興味がかかっていた。
近年ロードレースは、チーム対チームの力で決まる様相が強く、一人の力での勝利は不可能に近くなっているため、チームの最強者を勝たせるべく、ステージレースと同じくアシストのメンバーを揃えているチームがオリンピック代表選手獲得の最短距離に位置していると見られていた。
5名以上の選手のエントリーしているチームは、シマノレーシング8名を筆頭にブリヂストンサイクルが6名、日本鋪道と日本大学が5名であり優勝候補に上げられていた選手としては全国大会の実績とアシスト陣の顔ぶれから次の選手が挙げられていた。
◎今中大介(シマノ) ○鈴木光広(ブリヂストン)▲大野直志(日本鋪道)△大石一夫(ボスコ)×藤野智一(ボスコ)※注:大門宏(日本鋪道)62名が出走したメンバーで、私が印を付けた順位は以上の通りである。
何といっても昨年のツール・ド・北海道。国民体育大会そして本年(1992年)に入りチャレンジサイクル、全日本選抜と4勝の実力者、今中選手の中心は誰もが認める実績で優勝候補の最右翼とされていた。これに対抗する選手は、レース展開で大きく変わると思われて激戦の予想であったが、私は、昨年の今中選手2勝時のいずれも2位、本年の全日本選抜でも及ばず2位であり、直前の国際ロードでは総合優勝(大阪・名古屋大会2位)の実績が
あり、しかも前回のソウル五輪の代表で実力未だ衰えていない鈴木選手を推していた。ロードレースのベテランでレースを支配できる大門、大石選手は力では遜色ないが、同チームの若手選手大野、藤野のアシストに回る公算大と見て印を低くした次第。
ダークホース的存在は昨秋のツール・ド・沖縄、国内最長距離で国内プロアマ唯一のワンデイレースで見事優勝した山田隆博(ボスコ)である。すでにプロ転向は時間の問題と宣言しており、力から展開によっては最終回の番手によってはスプリントがあり、目が離せない存在であると予想していた。
前・中盤戦のレース経過
主力選手の集団待機で大きな動き見られず
6周目に形成された7名の先行Gr(グループ)、宮本文晴(日本鋪道)柿沼章・藤田晃三(ブリヂストン)阿部良之(シマノ)他2名。一時は集団に1分18秒の差をつけていたが、集団から飛び出した5名の選手が9周目に追いつき12名になった。さらに10周回では3名が追いつき1名が脱落し、14名が第1集団、さらに14周回では3名が加わり17名が、後続(メイン集団)を55秒引き離しての第15周回通過の状況であった。
(中間距離)
追いついた有力選手は、大石一夫、山田隆博、藤野智一(ボスコ)岸原薫・江原政光(シマノ)中島康博(日本鋪道)白川賢治(ラバネロ)および日本大、中央大の選手等である。
ボスコのエース以下が先頭に入ったことでメイン集団は危機感を持ったためであろう。ピッチを上げ追いかけ始めた。先頭にいるシマノのアシスト江原、阿部がペースをコントロールしたことあって17周回ではあっさり先行グループは集団に吸収されレースは振出しに戻った。このあたりから前半レースを引っ張ったアシスト勢と力尽きた選手のリタイヤ、および周回遅れの選手が目立ち回を追うごとにコース内にいる選手は減っていった。20周過ぎて集団からはアタックする主力選手は見られず、お互いけん制しての展開で進んでいた。。飛び出す選手はアシストで1人、2人の単独リードのため集団も見送り、1~2周で吸収の状況であった。
後半の最終回前までのレース展開
先行Grが吸収されて後、19~21周回、単騎で飛び出した胡井良太(パールいずみ)が一時は集団を1分近く引き離したが、誰もこれに反応しなかったため集団の今中、沼田、岸原等の引っ張りで戻される。
22周回:
菊田潤一(シマノ)を先頭に住田修・阿部良之(シマノ)大門宏、藤田晃三、大沢昭広(宮田工業)等の順で通過9分03秒61の早い周回タイムであった。(39・73㎞/h)
23周回:
白川賢治先頭、藤田晃三がぴたりと付き、21名が集団で24周回に入った。9分13秒22のラップ。120kmを過ぎて遅れる者が目立つ。前半戦レースを引っ張っていた宮本はすでにリタイヤ。今西、鳥屋尾恵始、中島、江原、岸原は集団に姿が見えず遅れていた。24周回 住田修が先頭に大門、続いて阿部、清野慶太(ラバネロ)以下集団で通過。
25周回:
住田修が最後のアシストか、38秒集団をリードして150kmを通過。ラップは9分19秒58でスターとしてこれまでのタイムは3時間52分47秒が経過していた。これを集団に戻すべく橋佐古直清(日本大)、大原満(愛三工業)がこれを追っていた。大野直志、藤野智一の若手有力選手の姿も確認されていた。
26周回:
住田修3回目のラップを取ったあと集団に吸収。大門、真鍋和幸(宮田工業)菊田と続いていた。
27周回:
清野慶太が3周目に続き2回目のラップを取り残り3周回に入った。9分36秒52で遅い周回である。誰もアタックに出ない。2番手で通過した村岡勉(シマノ)がエース今中の引っ張りを狙っているように思えた。登坂路を利用して、今中、沼田、村岡、清野がアタック、下りを今中先頭で集団を200m引き離して直線コースに差し掛かっていた。しかし集団もこの逃げを見逃さず、藤田、藤野を先頭に差を詰めてきた。正に死闘、残り2周回直前の山場であった。
28周回:
沼田雄一(ノックス)が先頭で通過した。今中、村岡、清野を従えての残り2周回である。10秒後の菊田が今中アシストで後続を押さえにかかるがこれを振り切り藤野、藤田が追撃を開始した。
29周回通過、
ついに大門宏が先頭に出た。それまで周回途中幾度となく先行Grと集団との差がでたときには、先頭に立ち射程距離を保つ走りで集団をコントロールしていた選手である。最後の1周回ではロード・スプリンターの第1人者である同僚、大野直志のアシストに全精力を傾けての出番である。集団は全く固まり誰も逃がさないとの雰囲気での最終回への突入であった。
最終回の激戦!主力選手出られず
ロングスプリント若武者“田中光輝、先行藤野、藤田を差しきる
各所属チームのカラフルなジャージ着た20数名のライダーは、殆ど一列棒状で鐘が激しく乱打されている最終回に入っていった。
ゴールスプリントにかけては、トラックレース練習中の落車で欠場の安藤康洋(宮田工業)とこのレース途中リタイヤしている鈴木光広(BS)がいないメンバーでは、大野と今中が有望視されるが、一昨日のトラックポイントレースの走りを見る限りでは、春先の落車の影響が完全に癒えている大野選手に一日の長が感じられた。それにまくり追い込みに自信を持っている藤野智一がこの展開では怖い存在と思えた展開であった。
最終回に入り、主力選手は互いにけん制でアタック地点を見出せず残り2kmの最後の勝負ポイントである登坂路に差し掛かった。
各選手はスパートのタイミングを見計らっていた。最初に仕掛けたのは藤野であった。坂の中程で一気にアタック、これに反応した今中の追走を許さず水をあけての先頭である。
今中マークで終始レースを進めていた(途中までは鈴木マークであったが、リタイヤのため作戦通り切り替えていた)沼田雄一(ノックス)は、今中が調子の悪かったためか、一杯になり追いきれなかったところで一瞬の躊躇が判断の遅れになり、後にいた藤田晃三(BS)のまくりに付け切れず、集団に飲み込まれてしまった。(入賞の分岐点)
約100から200mの差で藤野、藤田は集団を先行した。残り1kmの坂の頂上からは下りに入る。集団は懸命に2名を追う。残り500~600mで集団より単騎飛び出した選手がいた、すばらしいスピードで見る見る2名との差を詰め、直線コースに姿が見えた時には追いついていた。田中光輝選手(愛三工業)である。数10m遅れて集団が見えたが残り距離から3名を捉えるのは無理のように見えた。
ゴールまで100m手前の3名のスプリントはオリンピック代表をかけての死闘10数秒、横一線のフイニッシュで抜け出たのはゼッケン36番をつけた田中光輝であった。
集団も追い上げたが約10m届かず、大きく横に広がった4位以下の争いは成績表の通りである。途中、大きな逃げを許さず終始チーム対チームの戦いで展開されたアマチュア選手権ロードレースは、実力者の出番を完全に封じられ、高校卒業後2年の若き次代を担うと思われるライダーの勝利に終わった。
惜しくも全日本のタイトルを逸した藤野、藤田は昨年のロードランキング1位と6位の選手で当然、昨年の活躍から上位入賞は考えられていたが、レースをよく読み自分のペースにしたことは見事であった。
一車輪1/2の遅れで藤野が2位、続いて藤田がゴール、集団が1秒半届かずスプリントにかけては定評のある大野直志が先着、懸命に先頭を追った沼田は5位で後続を抑えてフイニッシュであった。
■全日本ロード選手権成績 完走27選手
<男子>
順位 選手名 所属 タイム(38.6/km)
1位 田中 光輝(愛三工業) 4”40:05.15
2位 藤野 智一(ボスコ) 4”40:05.36
3位 藤田 晃三(ブリヂストン) 4”40:05.45
4位 大野 直志(日本鋪道) 4”40:06.70
5位 沼田 雄一(ノックス) 4”40:06.80
6位 藤原 清彦(日本大学) 4”40:06.89
7位 飯島 誠 (中央大学) 4”40:06.99
8位 清野 慶太(ラバネロ) 4”40:07.38
9位 大石 一夫(あずみの) 4”40:07.45
10位 菊田 潤一(シマノ) 4”40:07.55
<女子>
成績 6km×12周=72km
1位 鈴木裕美子(パルコ) 2”10:37.18
2位 三井 由香(青山学院) 2”10:37.38
3位 大島 摩子(金沢高校) 2”10:37.65
■第25回バルセロナオリンピック代表選手
監督 藤原 英興(早稲田大学=連盟強化コーチ)
コーチ 三妙 恵治(法政大学=同)
メカ 野口 正義(シマノ)
男 子 (トラック) アマ選手権成績
小嶋 敬二(小嶋スポーツ) kmTT、SP優勝
江原 政光(シマノ) I P 優勝
岸原 薫 (シマノ po 優勝
安藤 康洋(宮田工業) I P 2位
橋佐古直清(日本大学) IP2位、TP優勝
大門 宏 (日本鋪道) po 2位
班目真紀夫(日本大学) T P優勝
男 子 (ロード) アマ選手権成績
田中 光輝(愛三工業) RR 優勝
藤野 智一(ボスコ) 2位
藤田 晃三(ブリヂストン) 3位
女 子
橋本 聖子(富士急行) I P 優勝
黒木 美香(デキバイシクル) S P 優勝
鈴木裕美子(パルコ) RR 優勝
*kmTT=1kmタイムトライアル SP=スプリント
IP=個人追抜 TP=団体追抜 PO=ポイントレース RR=個人ロード
選考は順当であったと思われる。トラックの代表は、短距離2冠の小嶋が2位の選手の選考を出さず代表を占めた。ポイントで2名の選考は実績のある大門がエントリー、岸原は団体追い抜きのメンバー、個人追抜き2位の安藤康洋は団体追い抜きのメンバーとして選ばれている。前回ソウルの時と同様ロード代表選考は、この大会での3位まで入賞で決まった。選考大会として開催した限りは当然である。参加している選手はこのレースに標準を合わせ一発を狙って走り、栄冠を勝ち取り代表の座の獲得を目標としていたのである。
無名の選手であろうが実績が乏しいからといって過去の実績を過大に評価して大きく揉めた2大会前の選考会(1984年ロスアンジェルス五輪)の時の選考基準を戻さず、すんなり決定したことは連盟首脳部の英断を高く評価した次第。私の持論は、選考大会としている以上そのレースの成績で選ぶことが選手も関係者も納得すると思っている。
高校(岐南工業)を出て2年目の選手が並みいる国内トップ選手を相手に優勝をしたことはフロックと言われようが、力があったからの快挙で議論の余地はない。田中光輝は、愛三工業の社員である。10年ほど前から在職者で自転車競技を愛好している選手が企業の名称で実業団登録していたが、本格的に会社の全面的なバックアップでの活動は数年前からである。
この優勝をきっかけに会社はさらに力をいれ、自転車産業と関係ない企業であるが、2007年の今日まで実業団企業チームの1,2を争う地位を確保している。オリンピック代表選手の輩出が企業としての誇りから継続してくれていると思っている。
バルセロナ五輪の成績は次の通りであった。ロードの男子は3名であったが藤野、藤田が完走、田中はDNF。女子は鈴木裕美子が完走の成績でアマチュア選手のみの最後のオリンピックは終わった。
■1㎞タイムトライアル
10位:小嶋 敬二(小嶋スポーツ) 1分5秒999
■ポイント
11位:大門 宏(日本鋪道)
■個人追い抜き
予選敗退:江原政光(シマノ)
■団体追い抜き
15位 予選敗退:安藤康洋(ミヤタ) 岸原薫(シマノ) 班目真紀夫・橋佐古直清(日本大学)
□個人ロード
*男子
藤野智一(ボスコ):21位 藤田晃三(ブリヂストン) :83位
田中光輝:途中棄権
*女子
1位 キャサリン・ワット (オーストラリア) 2時間04分42秒
2位 ジャニー・ロンゴ (フランス) +20秒
3位 モニク・クノール (オランダ) +21秒
・
50位 鈴木裕美子 (日本) +24分40秒
※女子ロード成績のみ編集で補足しました。
著者:南 昌宏
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