6.第60回全日本アマチュア自転車競技選手権大会(1991年)
ロード紫波町葡萄園周回新コースの激闘!


歴史と伝統のある国内最古の自転車競技大会。岩手県に自転車の町紫波町で個の大会4回目として開催された。トラックは国際規格の専用競技場で競輪の開催のないバンク。ロードコースは本年町内の周回で設定された。この地域としても交通量の増加で道路渋滞の波は押し寄せ、これまで町外の公道利用のコースが取れなかったためである。

コースは一周回30kmのフルーツライン(通称:ぶどう園)5周回の競走である。葡萄園手前の登りはかなりの勾配でレースの勝敗を決める箇所となっている。そのため下りでのスピードアップも急カーブ地点が多く平均タイムは40㎞やっとの時速で優勝者のタイムは僅かに40kmに届かなかった。

周回距離30kmを5周回150kmにスタートしたのは68名の選手であった。参加資格が前年の全国大会30位までと参加要綱に制限があり、このためエントリー73名に絞られていたのである。当日欠場者が5名あったためである。

スタート後まもなく昨年のチャンピオン大石一夫(ボスコ)が飛び出した。これに反応したのが地元出身の日本大学 中館選手と江原政光(法政大学)である。集団ではまだ早いと見て誰も追わず、一周目1分20秒先行し通過した。2周回目も同様、3名が快調なペースの逃げで集団を1分37秒離していた。大集団が通過する時その先頭を引っ張っていた のがノックス2名で赤いベースのジャージがひときわ目立っていた。中盤から後半にかけての走りは期待されていた。

ノックスはこのレース5名エントリーしており実業団チームとしては最高で、上位チームの日本鋪道、ブリヂストンが4名、ボスコ、愛三工業、ミヤタが3名でシマノは今中大介中心に村岡勉の移籍でチーム力を強化、欧州遠征中で姿がなかった。

=中盤の展開 先行グループの入れ替わり=  
*稲垣昇 集団を抜け出しトップに入る

3周に入りさすが3名に疲れが見られ、4周に入る3km手前では大石を除いて2名が集団に吸収されていた。大石選手のペースも大きく落ちている。4周目に入る時には36秒のアヘッドに過ぎなかった。しかし、さすがロード選手の第一人者、あきらめずに先頭を自分のペースで走行、集団に引き戻されることなく頑張っていた。

誰の目からも
「まもなく集団に吸収されるな!」 
「逃げが早すぎたな」 
「集団に戻されても最後の勝負に参加する力はあるだろう。なんといっても現在のアマチュアではトップライダーなので見せ場はつくるのではないか」
こんなささやきが観戦している役員、チームスタッフの間で聞かれた。

追っている集団から大石の姿が見える位置なので敢えて一気に吸収することなくこのコースの勝負ポイント「ぶどう園」の登りにさしかかる。登りは誰もが考える飛び出し、アタックが決まる個所であり、力が左右されるところとなっている。

1人で坂を登る者と目の前に目標があり、ひと踏ん張りできる者との差は明らかで、ここで一人、二人と集団より数名が抜け出した。ゼッケン番号順に見ると
稲垣 昇(ノックス)
藤田晃三(ブリジストン)
胡井良太(日本鋪道)
佐々木晃雄、鳥海祐司(徳島県庁)
以上の5名である。

大石選手は捉まったが、この先行にとどまり6名が最終回に入るまでの下りのコースを快調に飛ばし集団を引き離しにかかった。集団からは、ぱらぱらと抜け出し先行を追う選手が出るが、すぐ捉まり吸収されてしまうという展開である。こうなると先行有利で徐々にメイン集団との差を広げていった。

=最終回5名の優勝への駆引き=
*集団での6位入賞の攻防

5周回に入った通過は大石一夫、稲垣昇の順でこの回のラップは45分18秒( 39.7㎞/h)であった。先行グループをキープしていた鳥海はすでに遅れこの時集団で走行していた。

集団の先頭、トップから6番目で最終回に入ったのは、住田修(立命館大)。これにマークしていたのが岡本健(日本大学)で住田の猛追により50秒まで追い上げていた。更に集団もペースを上げ40秒の遅れで30名ほど続いていた。学生ナンバーワンの住田修、50秒の差を単騎で追えるか、先行5名に選手を送り込んでいない実業団有力チームは宮田工業のみで学生選手との連携が期待されたが、残り距離から厳しい状況の展開となっていた。

先行5名の選手の脚質をみるとゴール勝負にもっていっても優勝を狙えるのは胡井、佐々木、藤田で大石、稲垣は先行逃げ切りを狙って最後の勝負処の飛び出しを決めなければ不利である。どの地点での最後のアタックが開始されるか、非常に興味ある最終回であった。

開催地の隣町出身の地元といってもよいブリヂストンの次代の期待選手、藤田晃三がゴールまで数kmで最初に仕掛けた。しかしこの逃げはすぐ捕まり、各選手アタックに備えての走行になった。ペースが落ち大石が飛び出した。このレース・スタートから100km近く逃げていた選手とは見られない力強いものである。しかし他の4名もここまでくれば見逃せない。必死にこれを追い再び5名のグループになる。

稲垣もゴール勝負は避けたく逃げを狙うが今ひとつダッシュ力がないため一瞬の引き離しての飛び出しができない。勝負はゴールに持ち越された。予想とおり大石の先行を追い込んだ胡井良太選手が佐々木、藤田を抑え東日本実業団に続き優勝。いまや、大野直志と肩を並べる日本鋪道の2枚看板選手の地位を確保した。
 
女子は、この地で行われた第51回大会(1982年=昭和57年)で復活したレースから毎年参加していた、鈴木裕美子(パルコ)が念願の全日本のタイトルを獲得、国内女子競技会のリーダーとして健在であった。

■男子上位結果:
1位 胡井 良太(日本鋪道)  3時間45分13秒
2位 佐々木晃雄(徳島県庁)      +0.8
3位 藤田 晃三(ブリヂストン)     +0.46
4位 大石 一夫(ボスコ)        +0.54 
5位 稲垣 昇 (ノックス)
6位 安藤 康洋(宮田工業)

■女子上位結果:
1位 鈴木裕美子(パルコ)    1時間42分33秒
2位 三井由香(青山学院大)      +0.14
3位 三田村由香里(ミヤタ)       +0.23
4位 大家千枝子(日体大)
5位 山本明榮(中京大)
6位 堀 弘乃(静岡いすず)


著者:南 昌宏

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