2.第54回全日本アマチュア自転車競技選手権大会
1985年世界選手権、アジア選手権、ツール・ド・ラブニール代表選考会
戦前より続いている国内最高・最大の大会である第54回全日本アマ選手権は昭和60年(1985年)7月5〜7日に岩手県紫波町で開催された。トラック競技は、岩手国体が行われた昭和45年(1970年)の前年に新設された国際規格に合せて建設された333mバンクである。開場以来4度目になる全日本の開催は、戦後の自転車競技専用会場地として伊豆の日本CSCに続く実績である。
前年の大改装で整備されたバンクは、この年の世界選手権、アジア選手権、ツール・ド・・ラブニール(当時の世界でのアマチュア・ステージレースのトップクラス)
の代表選手選考会を兼ねていた。8年振りに参加した昨年のオリンピックで銅メタル (スクラッチ=現在のスプリント競技)獲得は、国内自転車競技の認知に大きく貢献し第3次サイクリングブームの幕開けの時期であった。日本アマチュア自転車競技連盟は早くも次のソウル五輪に向け選手の実力向上のため運営面に大きな力を入れていた。
これを象徴するかのごとく3年振りに海外招待選手を加えての大会となった。ニュージーランド、オーストラリア2ヶ国から4名が来日した。3年前はヨーロッパから2ヶ国であったが今回はオセアニア地域からである。トラック競技においての来日の2ヶ国はヨーロッパに引けを取らないタイムで世界選手権、五輪の入賞を争っている。参加した選手は次期五輪を目標に強化している若手選手が中心の編成であったため、個人追抜き競走では日本国際新記録で優勝を取られたが、他の種目では日本勢が活躍し面目を保った。大会はトラック競技2日間、ロード競技1日間の日程で行われた。記録的には招待選手の個人追抜きで4分49秒23が国内で初め50秒を切るタイムでスタンドを沸かせた。
ロードレースは、紫波町および周辺の町村の一部を通る30kmの周回コースで行われた。男子180km・女子60km。優勝は前年に続いて鈴木光宏(ブリヂストン)が二連覇を果し、並いるベテラン陣に後塵を浴びせた。
女子は、スケートより転向、前年のロスアンジェルス五輪代表の阿部和香子と日本大学でスケート部より自転車に切り替え、女子の日本選手権大会が始められた時から活躍している、鈴木裕美子(パルコ)のゴール前マッチレースとなった。お互いに相手を意識してのデットヒートは後世に残るフイニッシュであった。(鈴木はゴール直前の進路妨害の反則を取られ失格)
大会終了後、海外派遣3大会の代表選手の発表があり、この年前後、数年のアマチュア自転車競技会は活況を呈していた。
■世界選手権大会代表(開催地イタリア)
吉田撤栄・山本和雄(マエダ工業)
白井憲周・円谷義弘・吾妻広一・吉田 茂・石井美津夫(日本大学)
山田隆博(スギノテクノ)
鈴木光宏・橋詰一也(ブリヂストン)
■アジア選手権(韓国)
倉岡慎太郎(九州学院)
中畑正彦・円谷義弘・吾妻広一・吉田茂・石井美津夫(日本大)、
山田隆博(スギノテクノ)・滝川一夫(山梨県教員=日大OB )
鈴木光宏・橋詰一也(ブリヂストン)
佐藤稔(山梨県教員=日大OB )
鳥谷尾恵始/阿部和香子(マエダ工業)
鈴木裕美子(パルコ
■ツール・ド・ラブニール代表
清野慶太(日大出)
鉄沢孝一(新家工業)
三谷寛志・高原信一(ブリヂストン)
徳永貴和(中央貿易)
高橋松吉・橋本 元(マエダ工業)
※日本CSC/5kmコース図